みぢかを機能で考える <第31回>
Original 2020/3/31
今回のお題は年賀状です。
年賀状に機能なんてあるのか?
「今さら…?」 と思われていると思います。
「今どき年賀状じゃなくてLINEでしょ…?」ってね。
インターネットの普及を背景に、葉書や封書などの郵便物の数は減少傾向にあり、年賀はがきの発行枚数も2003年の44億5936万枚をピークに2022年は16億7691万枚だったそうです。(データは日本郵便ニュースリリースより)
ただ、減ってきたとはいえ、これらが全て出されるとして、単純計算で日本人1人あたり10枚以上は出していることになります。減少傾向といっても結構な枚数ですね…。
改めて。年賀状って何のためにだすのでしょうか。
「新年の挨拶のために決まってるでしょ」
その通りですね。
私も若いころは面倒で出さない年もありましたが、結婚を機に改めて出すようになりました。
ただ、私は、直近でお会いしている方、例えば、近所などのコミュニティーの仲間や会社の同僚には出していません。 出している方は、冠婚葬祭のときにしか会わない親戚、昔の会社の同僚や学生時代の旧友、先生。 これまで人生の節目節目でお世話になった人たちといえると思います。
内容はごく一般的。
「明けましておめでとうございます 本年もどうぞよろしくお願い致します」 「謹賀新年」 といった印刷されたプリントされた定番の挨拶に、一応、お粗末な直筆で当方の近況を添えて。
さらに「近いうちにまたお会いしたですね」とかね。
実際には遠方であったり、なかなか足が向かなかったりして、会えずじまい。 それでも毎年「今年こそは会いたいね」とか記したりしています(笑)。
そうやって私が年賀状をやり取りしている方々の中に小学校の恩師がいます。
その恩師とは小学校を卒業して以来、実は一度もお会いしていないのですが、ずっと年賀状のやり取りをしてきた方の一人です。
二年前に母が他界したときに、年賀状の欠礼のご挨拶状をだしたのですが、その年の松が明ける頃にその先生から一枚の葉書を頂きました。
その内容は、他界したとしても空の上からきっと貴方のことを見ておられますよという励ましのお便りでした。
ありがたい話でお礼の便りを出しました。先生はまさに私の親と同世代で、今思えば、亡き母に近況報告をする気分だったのかもしれません。
そして昨年、私はいつものように年賀状を先生に出しました。
今年こそはお会い出来るようにしたいとメッセージを添えて。
そして松が明け、もう暖かくなる、ちょうど一年前の今時分の日曜日の朝、最近では携帯がメインなので鳴ることも少なくなった自宅の電話が鳴りました。 ナンバーディスプレイで表示された番号は全く見覚えなく、またモノ売りとか何かの勧誘かと思っていましたが、鳴りやむ気配がなく、受話器を取りました。
すると何やらかなりしゃがれた声で私の名前を尋ねられ…なんとその先生ではないですか。
本当にびっくり。
話をお聞きすると、年賀状をもらったけれど、もう返事を書く元気もあまりないので電話をしたんだとのこと。
そして、昨年頂いたお便りの話。母のことを覚えていらっしゃったようでした。
お歳を召されたこともあり、丁寧でゆっくりとした語り口で、自身が小学生当時の快活で優しくも厳しいお声ではなかったですが、頂いた言葉は叱咤激励。まさに数十年前の関係に戻ったような感覚を覚えたのでした。
こう振り返ってみると、年賀状には人と人との絆を思い起こさせる力があるように思うのです。
たった一枚の葉書ですが、その便りに、その言葉に、その人とのつながりがあった当時に思いをはせる。
そしてその頃の自分を振り返り、初心に戻る、もう一度いい意味でリセットする、頑張ろうと思ってみる。
懐かしい声を聞きたくて、コンタクトして…そんなエネルギーを生み出す働きがあるのかもしれません。
こんなことも広い意味で「機能」といえるかと思い、紹介させてもらいました。
この話には続きがあります。
実は昨年、お電話を頂いた数カ月後、たまたまご自宅の近くに全く別件で訪れる機会があり、先生のご自宅へ訪問することができました。
しかし、残念ながら先生はお亡くなりになられていらっしゃいました。
ご自宅へ行くのは初めて、かなり郊外の里山にあったこともあり、携帯のGoogle Mapを手にご自宅のすく近くにいってから、年賀状にあった電話番号にお電話を差し上げたのです。
奥様が電話におでになり、三カ月前に旅立たれたことを知りました。
事情を話し、御仏前にお参りしたいと申し出ると快諾を頂きました。
奥様はもちろん初対面でしたが、私の名前が年賀状に会ったことをなんとなく覚えておられたようで、快くお迎え頂きました。
先生の懐かしいお顔を写真ですが、拝見することができ、もう少し早くくればよかったと思いながらも長年の懸案を果たしたような気分でほっとした気持ちもありました。
これも年賀状のおかげなのかと改めて思った一日でした。