みぢかを機能で考える <第12回>
Original 2017/6/07
「チョレィ!」
いまや日本の男子卓球のエースになった張本選手が御馴染になった、得点をあげたときの掛け声。
最初は中国語? と思いましたが特に意味はないそうですね。
張本選手が著名になったときに、日曜朝の某TV番組では同姓のプロ野球界のレジェンド、張本さんが「あっぱれ!」を出していましたね。名前もいい!というコメントまで(笑)。
同じラケットを使うスポーツ、テニス。こちらのほうも世界四大大会をはじめ、国際大会で日本選手の活躍をニュースで拝見することも増えてきました。
今回は「球を打つ」スポーツについて考えたいと思います。
その現象を物理の原理原則で考える
球を打つということ、そもそもどういうことか、物理の原理原則で考えると、
「球にエネルギーを与える」
ということなのだと思います。
与えられたエネルギーは以下に分類されると思います:
1) 球の運動エネルギー(球の移動と球自体の回転)
2) 球の位置(高さ)がかわる位置エネルギー
過渡的には球が変形することによる、ひずみエネルギー、圧力エネルギー(空気がある場合)があると思いますが、球が十分な弾性をもち塑性変形はほぼないと考え、それらは最終的には運動エネルギーに変わっていくものとして上記の2つにまとめてみました。
プロ野球の東京ドームで昔は、元巨人の松井選手や、あの大谷選手が日本ハム時代に天井に入り込む打球を打ったことがありますが、これは球の運動エネルギーはなくなったけれど位置エネルギーが高いままで止まったっていえますね。
球を打つのは
- 野球ソフトボールならバットで
- テニス・卓球はラケットで
- ゴルフはクラブで
- バレーボールは手で
いずれも「自分の体で」「振って」(スイングして)、発生させた運動エネルギーを、「打つ」ことでボールにエネルギーを与えているのですね。
ん…? ちょっと待ってください。
エネルギーの話で考えてみると、「打つ」に限らず、「投げる」「蹴る」「走る」も同じではないですか…。
- 砲丸をなげる=砲丸に運動エネルギー・位置エネルギーを与え移動する
- サッカーボールを蹴る=サッカーボールに運動エネルギー・位置エネルギーを与え移動する
- 100m走=自分の体に運動エネルギーを与え100m移動する
というべきでしょうか。
そしていずれも、人の筋肉の収縮エネルギーを使い、運動エネルギー・位置エネルギーを与えているということですね。
トップアスリートの能力とはエネルギー変換機能の高さ⁈
こうやって考えるとスポーツとは、競技として競うために道具の規格、環境や競技ルール等の規程という前提条件を与えたうえで、「人の内部エネルギー(注)を如何にうまく目に見えるエネルギーに変換する」ことができるのか、それを競っているといえそうです。
(注)直接的には筋肉の収縮と考えますが、そこに至るメカニズムは複雑なので、「人の内部エネルギー」とまとめて表現しました。同僚にちゃんと説明しないと機能で考えたことにならんだろ~!といわれたのでちょっと調べて最後にまとめてみました。不勉強ですがご参考まで。
道具が介在すればその道具の特性を考えることが必要になりますが、道具はあくまでも手段であり、プロといわれるようなトップアスリートは皆さん、自身の体も含めて道具をうまく使える能力を持ち合わせているのでしょう。
しかも相手のある競技では相手が生み出したエネルギーにも対峙する必要があります。
卓球の平野美宇選手が早い攻めでまた台頭してきました。
テニスではライジングショットを武器に台頭した伊達選手や、錦織選手も、そして、野球では広角に打ち分ける名打者もボールのエネルギーをうまく活用して力のある球をうつ、そういう技術をもっているということなのでしょうか。
そして、人の内部エネルギーの発生量はメンタルによっても左右されると仮定すれば、メンタルも大事な要素ということになりますし、人がやることだからその結果や過程に感動もあるということなのでしょうね。
話が難しくなりました。
錦織選手の復活の活躍を祈念してまた次回にします。
(「人の内部エネルギー」の説明)
食事により炭水化物、糖質、たんぱく質、ビタミン類、ミネラル類などの栄養素を摂取するが、エネルギーに変換されやすい糖質(ブドウ糖)によりつくられたグリコーゲンという物質で内臓や筋肉に蓄えられる。
エネルギーが必要になったとき、グリコーゲンを構成するブドウ糖の酸化等によりATP(アデノシン三リン酸)を生成する。
ATP(アデノシン三リン酸)がADP(アデノシン二リン酸)となりリン酸が外れるごとにエネルギーが発生し、これにより筋肉の収縮が行われる。
※投稿当初は「内部エネルギー」と記述しておりましたが「人の内部エネルギー」と記載しなおしました。なお、筆者がここで表現している「人の内部エネルギー」という言葉自体は、一般論として使われているものではありません。